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今後は「インディジョーンズ」「JUNO」「イースタンプロミス」ほか

2006年06月23日

寒いブルー総括(その1)「中田から宮本への4年間」

ブラジルに1−4と敗れて、
日本のW杯は終わった。
最後まで、予想の範疇から出ることなく、
このチームが世界を驚かすことはなかった。

かといって、この2週間がダメだったから、
日本が敗れたわけではないだろう。
柳沢が下手だから、監督の采配が悪いから、
中村が風邪を引いたから、宮本がいたから、
決勝トーナメントに進めなかったわけではない。

それらは、すべて予期されたことだったはずだ。
なぜなら、我々はすでに4年もの間、
ジーコ監督による、日本代表を観てきたからだ。

彼らをよしとして、ドイツに送ったのは誰だったのか?
それは協会であり、メディアであり、他ならぬ我々だ。
彼らを批判することは、自分たちの顔に泥を塗ることだ。

負けたからといって、いきなり教科書に墨を塗るのはやめよう。
いまは、その教科書をよく見直して、何が間違っていたのか、
最初から、冷静に振り返ることが重要なはずだ。
すべての誤りには始まりがあり、そこに解決の手がかりがある。

このチームの転換点は、中田英寿がグロインペインで離脱し、
主将が宮本にバトンタッチした2004年頃にあると思われる。

それまで、日本代表は異様なまでに海外に固執していた。
2003年のコンフェデ杯を頂点にして、アルゼンチン2連敗や、
アフリカ3連戦など、とにかくアジアを相手にしない。
「海外組」を中心にチームを編成し、世界にこだわりつづけた。
(参考:ジーコの戦績

フランスでのコンフェデ杯では、
地元フランス相手にギリギリまで詰め寄り、
温存していたアンリまで投入させる展開に持って行った。

ところが、次のコロンビア相手に宮本の凡ミスで失点。
0−1で敗北してグループリーグを突破できず、終了。
私も現地で見届けたこの試合、まだチームに可能性はあった。
「これを繰り返してはいけない」あのときも、そう思ったはずだ。

とはいえ、その後もチェコに勝利、イングランドに引き分け、
強豪チーム相手には、負けないサッカーもできるようになった。
一方で全員が引いてくる、アジアの弱小国を相手に勝てるのか?
そんなことが心配にされ、W杯予選を逆に危ぶまれてさえいた。

しかし、2004年英国遠征を最後にして、
このチームはもっぱら、アジアに集中する。
この年から始まったW杯予選とアジアカップ、
いやでも、目の前の目標に目を向けざるをえなかった。

時を同じくして、中田英寿がグロインペインで離脱。
主将は宮本に代わり、「海外組中心」と揶揄されたチームは、
自然とJリーグ所属選手を中心としたチームに変化していく。

この年、アジアカップ優勝、W杯1次予選を全勝突破。
「4バック」と「黄金の中盤」で世界を目指したチームは、
「3バック」で守りきり、カウンターを図るチームに変わった。

中田体制から、宮本体制へ。
チームは自信を深め、このやり方に安住の地を求めた。
そして結果も出た。アジアでの勝ち方をチームは知ったのだ。
一方で、ケガから復帰した中田は「居場所がない」「身勝手」
と揶揄されて、代表辞退さえ考えるようになったという。

この瞬間、世界を夢みた侍は、井の中の蛙に変わった。
まるで、坂本龍馬亡き後の日本社会を見ているようだった。
世界に追いつき、追い越せ、とは考えなくなった。
アジアの盟主になって、すっかりいい気になっていた。
その盟主は何十年も、W杯で敗退してきた歴史があったのに。

どうしてこんなことになったのだろう?
2002年6月、あの歌をすっかり日本は忘れてしまった。
僕はあの日、トルコ戦、仙台ですべてを見届けた。
あの悔しさは、いったいどこに行ってしまったんだ?

あのときも「世界との差」を痛感したはずだ。
中田浩二のパスミスから、CKで失点した。
ミスが許されない、90分を通じた試合運びができない。
課題はいくつも、すでに明らかになっていたはずだろう?!

課題は放り出されたまま、日本はアジア王者にのさばった。
中田英寿は、2004年以前に体制を引き戻そうと訴えた。
しかし、「和をもって尊しとなす」のが宮本体制だった。

宮本は常に現状を優先して、妥協を選択し、
メディアはそれを「リーダーシップ」と持ち上げ、
それに反する中田英寿を「孤立」「孤独」と批判した。
中田はそれを「仲良し」とコメントするのが精いっぱいだった。

ところが、この宮本体制にはイデオロギーがない。
現状を優先する一方で、目標を持っていないからだ。
日本人は、フィジカルや個人技でどうしても劣る。
それをどのようにしてクリアし、世界との差を埋めるのか。
メンタルと、戦術でカバーする以外にどうする?
メキシコのように、決勝Tの常連になるにはどうする?

何も解決されないまま、本番がやってきた。
それまでの有力国との親善試合でも明らかだった。
ウクライナ戦、米国戦、ボスニア戦。
エクアドル戦、スコットランド戦、ブルガリア戦。
メディアは結果を批判しながら、その理由を追求しなかった。

それまでの親善試合と、同じような結果が本番にも出た。
練習でやっていることは、必ず本番に出る。
体育会系にいた人間なら、誰もが聴いたことのあるセリフ。
格言が格言たるには、理由があると人々は知ったはずだ。

以上の4年間の経験から、今回の成績が必然的に導き出された。
歴史に語りかければ、それは雄弁である。

世界と戦うことを、はき違えていた選手たちが、
第1戦で叩きのめされ、自信を失ったときに、
もはやチームとして、残っているものは何もなかった。
ジーコは最後の会見でも「フィジカルが足りない」と語った。

最後まで、彼は問題を正視することなく、潔いほど、
ブラジルと同じ個人技サッカーを目指し、そして撃沈された。
彼は11人のジーコをピッチに並べて、サッカーするつもりだったのだ。
32ヵ国中、最も美しいまでに無策なチームだった、と私は思う。
posted by Ak. at 23:05| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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